海でのはなしレビュー by ゆぅ
渋谷ユーロスペースにて、12月23日21時10分上演の回を見てきました。
この日はつい先日亡くなられた実相寺監督作品『シルバー假面』の公開初日だったらしく、
狭い館内は2作品の観客と『シルバー假面』のマスコミ関係者でごった返し。
『海でのはなし。』も客席が足りないほどの観客数。
階段や地べたへの座り見が出るほどでした。
スピッツ効果かあおい効果かはたまたその他かその両方か。
これには少し驚きです。
本編は5分遅れで上映開始となりました。
YAHOO!動画を配信期間中に見ずに終わったので、この作品を見るのは初。
あらすじ紹介もまともに読まないまま見に行ったらびっくりしました。
何てヘヴィな話なんだろう。
「スピッツの音楽から生まれた小さくて可愛いラブストーリー」がコンセプトだったはずだ。
もっと明るい話を期待していただけに少しがっかり。
まぁ、その変に人の期待を裏切るところがスピッツらしいと言えばスピッツらしいのだけど。
スピッツの音楽を生かせているかどうかに視点を置くと、前半は必ずしもそうだとは思えない。
スタートを切る1曲が“正夢”、これじゃどうしてもタイアップだったドラマ
『めだか』を思い出してしまう。
あのドラマはキャスティングが実に秀逸であった…と、こんな風に。
楓(宮崎あおい)と博士(西島秀俊)、ふたりの主人公のモノローグに併せて流れ
ぶつ切られる“楓”や“スカーレット”は何だか中途半端な感じがした。
そもそもこの話自体がショートストーリーと云う制限の中で作られたこともあってか、
大きな話の中のほんの一部をざっくり切り取ってきたみたいで、
展開は急速だし説明不足なところもあって、
イマジネーションをしっかり働かせない人でないとついていけなさそう。
ああ、「如何にも」少女漫画の世界。
嫌いじゃないけれど、好みはしっかり浮き彫りになりますね。
おっと、音楽の話に戻しましょう。
物語の展開部からスピッツは生きてきます。
楓の出生の秘密と“水色の街”、
博士の車で海に向かう途中の“青い車”、
荒れた研究室で眠りこける博士のCDプレイヤーから流れる“ロビンソン”…
この3曲は特に良かった。
誰もが納得できる、これくらいベタな選曲の方が気持ちいい。
音楽に関してのわたしの評価は100点満点中75点。
シングルコレクションの限定された楽曲の中でよくぞここまで表現してくれました!
そんなところです。
正直、わたしは楽曲云々の話よりキャスティングとストーリーの方が印象的。
宮崎あおいの女主人公・楓のハマりっぷりは見ていて清々しい。
かわいいね、あおいちゃん。
可もなく不可もなく、何てことがない訳でもないけれど、これは可です。
対する男主人公の博士…他人にも自分にもどこか冷めている訥々とした口調は、
人物像が掴めていない最初のうちは「棒読みみたいで、嫌だなあ…」と思っていたのだけど
話が進んでいくにつれてそれがだんだん魅力的に。
それも何だか、マサムネさんを彷彿とさせます。
そうだよ、この感じ、マサムネさんだよ。
この「如何にも」少女漫画なストーリーに好感が持てるのはそこにあると思います。
さすが監督さんはスピッツのファンだと思います。
博士のあのキャラクターは監督から草野マサムネへのオマージュなのでは?
草野マサムネをブラウン管なりCDプレイヤーなりAV機器越しに見る相手でなくて、
ネクストドアーの人物として捉えた結果の、
「もしもマサムネさんが人気ロックバンドのボーカルなんかじゃなくて、
もっと現実味ある職種の人だったら?」、
そんな思いがあったんじゃなかろうか(実際は毛の生えた程度の現実味でも)。
大学の先生とミュージシャンはどっちがたくさんいるのかなんてわたしは知りはしないけれど、
世間が暖かい目で見守ってくれる大学の先生の方が現実的には違いない。
そんな博士に恋する楓は、この映画の観客にしてスピッツのリスナーである、
全女性の代理人なのだ。
草野マサムネに恋するリスナーの代理人なのである。
男性にもそう云う人がいるかも知れないけれど。
中でも作用・反作用と黒板の話。あのエピソードは少女漫画趣味の最高傑作シーンだと思う。
悲しみの衝動に駆られるまま向かった海と、
そこでお互いの手のひらを重ねて物理の話に夢中になる博士。
この状況で自分に真摯に向き合ってくれる男にときめかない女はいない!
ついでに云うと男が何を話していたかなんて頭の中に入るはずもない。
…と、これは偶然にもこの映画のフィルムブックのおまけに書いてあった辺り、
監督さんの少女漫画趣味はわたしにもばっちりリンクしていたようです。
研究室で楓に“ロビンソン”のあの節を口ずさませたのもまた少女漫画。
誰も触れない2人だけの国/君の手を離さぬように
少女のツボを心得ています。いやあ監督さん、素晴らしい。
ふたりの主役の好演に負けず劣らず、楓の母親役の毬谷友子も素晴らしかった!
前半のキーの彼女の出番ははっきり言ってそれだけなんだけど、
僅かな出番で文句なしの存在感です。
楓とのやりとりの中で見せた母親の顔と女の顔の表現の落差が、
説明不足気味のこの映画に説得力を持たせた節さえ感じられます。
今までこの一見地味で平凡そうな女のどこに、
不倫や愛人などと云った後ろ暗い影が見えただろう。
どこに、そんな影に目を背けて普通の毎日を送るだけの強さがあったのだろう。
人の良さも芯の強さもまさに「楓の母」だった。
親の背を見て子は育つと言うけれど、楓もきっとこんな人になるんだろうなあ。
そう思わせる母親が実は父親の愛人だった。
…ともすれば母によく似た楓もまた、そんな人生を歩んでしまいそうだと思わせる。
輪廻の途中で少し寄り道しちゃった/小さな声で大きな嘘ついた
“死にもの狂いのカゲロウを見ていた”の1節がわたしのあたまの中を流れてやまない。
親の因果をまた子も繰り返すのではないか、と。
この曲でもまた草野マサムネは叫ぶのだ。
ひとりじゃ生きてけない
これだって、そう云うことだろう?
もうどう転んでもスピッツを喚起させる、『海でのはなし。』。
スピッツ好きに、と言うか、草野マサムネ好きにとっての、傑作です。
エンドロールのBGMは“スパイダー”。
予想外にヘヴィだったこの映画のラストに、先の開けた疾走感とサビのあの歌詞。
何だかんだで最終的にはハッピーエンドの兆しがある。
確実なハッピーエンドは見えないけれど、たぶんきっと、最後はハッピー。
だから恋愛も人生も楽しいんです。
written by ゆぅ