スピッツの曲にまつわるオリジナル小説

地図にない国 (作者:彩香)

地図にない国 【1】

「ねぇ、どこに行こうとしてるんだっけ?」
「トロピコの街。」
「それどこにあるの?」
「……。」
「え?何?なんて言った?」
「まだ何にも言ってないよ!」
「どこにあるの?」
「……。わかんない。」
「え?何?なんて言った?」
「わかんない!ガンダーラていう国のどっかだよ!」
「えー。ガンダーラていう国のどっかぁ?どこかもわかんないのぉ?」

風に乗って流れてくる黄色い砂が、汗ばんだ肌に張り付く。じりじりと照りつける生まれたての太陽の下、二つの小さな影が揺れる。
自分の体より大きなリュックを背負った少年は、ポシェットひとつをぶらぶらと退屈そうに揺らす少女をにらみつけた。少年は十二歳、少女はそのひとつ上の十三歳である。
「ナナ、だから最初に言っただろ。すごく難しい旅に行くんだ。遊びじゃないんだ。それでもついてくるのかって!」
「言われたわよー。でも、ハヤテ?目的地の名前しかわかってないんじゃ、すごく難しい旅どころか、当てのない旅じゃない。あーあー、おうちに帰りたい。」
ハヤテは泣きそうになりながら、座り込んだナナの横に水筒を投げつけた。
「わがまま言うなよ!ナナの分の荷物だって、僕が持ってるんだぞ!お前なんかより僕のほうがよっぽど疲れてるんだ!!」
ハヤテは太陽を見上げながら、ガシガシと頭をかく。
「休んでる暇なんかないんだよ。太陽が昇ったらすぐにも砂漠に入らないと、夜になる前に抜けられないって町の人が言ってただろ?砂漠の夜は、命の危険だってあるんだから!!」
ナナは何も言わずに黙って渡された水筒から飲み物を飲んでいる。彼女の耳でゆれるガラス玉のピアスが太陽の光できらきら揺れた。ハヤテはこのナナのピアスが苦手だ。日に焼けた腕も、根元だけ黒いプリンみたいな髪の毛もナナのイメージぴったりなのに、このピアスだけがナナに似合わない「女の子」の部分を象徴しているように見えるからだ。

ハヤテの父親はこの砂漠で死に掛けたことがあったそうだ。そのとき父親の命を救ったのが今まで見たことのないような服を着た美しい人々だったと言う。彼らはガンダーラという自分たち国に父親を連れて行き、トロピコという街を案内してくれ、ほっぺたが落ちるようなご馳走や、舌が溶けるようなお酒でもてなしてくれたらしい。その国のことを調べようと、父親は自分の持っている地図を見たが、その国はどこにも載っていなかった。父親は不思議に思い、書店、図書館、古本屋とありとあらゆるところでありとあらゆる地図を見たが、その国はどこにもかかれていなかったのだ。それ以来、再びその国に行こうと、一人息子のハヤテに目もくれずひたすらに旅をし続けた。父親に愛想を尽かした母親は、家から出て行ってしまった。それでも父親は家族を顧みることはなかった。旅から帰ってきたかと思えば、無心で日記をつづり、ハヤテに話しかけることもなかった。
「お母さんが、家、出てっちゃったよ。」
「お父さん、お母さんが出てっちゃったよ。」
「お父さん。ねぇ、お父さん。」
どんなに呼びかけても、父親は常に何か考え事をしていて聞こえないようだった。あいまいな返事ばかりで上の空。そのときも
「そうか。あいつ、出て行ったか。」
と一言言っただけだ。きっと父親は母親のこともハヤテのことなどどうでもよかったのだ。心ここにあらず。父親が思いを馳せるのはいつもガンダーラという未知な国。ハヤテはいつしか、旅から帰ってくる父親に話しかけることを諦めてしまった。父親に必要とされない寂しさと、それでも父親を求めてしまう自分の心とでハヤテはいつも苦しかった。それでも、旅から戻り疲れて寝入る父親の布団にもぐりこんで背中合わせに寝るときだけは、ハヤテにとって幸せな瞬間であった。

彩香 著