SPITZ SONG NOVEL ウサギのバイク (作者:龍石茜)
SPITZ SONG NOVEL ウサギのバイク 【3】
「……はい!これで全員!!」
目眩で平衡感覚も時間感覚も無くなっていた間に、先生は残りの二人も捕まえてしまったらしかった。最初は自分のペースを保っていた妹は何だかんだ言って最後までしぶとく逃げ続けていた。自分の体をよく見てみると、さっきと姿勢が違う気がする。くるくるになって丘を降りた後、寝ころんだ時と場所が変わっている。誰かが病院の近くまでぼくを抱えてくれたのか。とりあえずぼくの近くで病院の壁に寄りかかり腕を組んでいる子に感謝を述べたら、にやけ顔のまま黙って先生の方を指差した。丁度その時先生が妹の手を引いてこちらへ向かって小走りしてくる。彼が慌てて腕を組み直したのが面白くて吹き出してしまった。
先生達がこちらへ辿り着くと同時にお昼十二時を知らせる鐘の音が病院の敷地いっぱいに鳴り響いた。午前の院内学級はこれでおしまいだ。後半はただ鬼ごっこで遊んでいただけなのであるが、もしかしたら普通の学校の「体育」とは、今ぼくが感じている様な終わった後の爽快感を味わう為にあるのかも知れない。貧血がこんなにしょっちゅう起こらずに済めば良いのに。もっと健康ならどこまでも駆け抜けてゆける気さえしたのだ。早く悪くない血が巡る体になりたい。
病室までの道のりは先生と妹がついていてくれた。妹が他の子から又聞きした話によると、ぼくが意識を失ってすぐ、先生は懐から取り出したPHSですぐに担当医を呼び、往診してもらったらしい。症状もいつもの貧血だけだったのでとりあえず日陰になっている病院の壁際の所で姿勢を少し変えて寝かせ、すぐ小児科の仕事に戻っていったそうだ。
「センセ、午前中忙しいのにぼくだけの為にわざわざ……」
「だって、他の子は皆自分の症状と体力をわきまえてるもの。すぐ無茶に走るのはお兄ちゃんだけ。」
「そ、そうだよね。あはは……」
さすが自分の妹。痛い所を的確に突いてくる。こう返されるとぼくは乾いた笑い声を出す事しか出来なくなる。ぼくの貧血で呼び出されたという事はぼく以外にセンセのお世話になる人はいなかった訳だ。でもぼくは、と必死に言い返そうとした時。「……楽しかったでしょ?」と先生が突然ぼく達の顔を見て今まさにぼくが言わんとしている事を先に言い当ててしまった。何という事だ。ぼくの心の中は妹どころか先生にも透けて見えるのだろうか。しかしながら確かにその通りとしか言えなかった。そして先生は確かにぼくの本音を代わりに言ってくれた。
生まれてから今日まで弱々しく生きてきて病室の窓から外の世界を眺める事がほとんどだった。自分の短い人生の中で、大部分の人が当たり前に感じる「健康」という幸せをぼくがこんなにも切実に欲したのは初めてだ。間違いなく今日の鬼ごっこがきっかけて生まれた感情であった。
先生。あとセンセ。ぼくの欲しい物は走っても倒れない体です。先生、その事に気が付かせてくれてありがとう。センセ、ぼくも気持ちを強く持って頑張るから、どうか僕に健康を下さい。
ウサギが乗り回したらすぐに空中分解されてしまいそうな程弱い心臓と血液しか持ち合わせていなかった彼は、この日の出来事で何か強い心棒を入れてもらったかの如く「満足に走れる体」を目標として闘病生活に励む。そして移植手術も成功に終わり彼は晴れて「健康体」を手に入れた。彼の願いは十年以上も後、全国でテレビ中継が行われる大学対抗の駅伝大会において所属大学の区間賞という本人の望み以上の形に昇華されて実現するのだが、それはまた別のお話。
おしまい。
龍石茜 著