スピッツの曲にまつわるオリジナル小説

恋は夕暮れ (作者:あんみつ)

恋は夕暮れ 【短編完結】

「もしもし? ……うん、うん。そっか……おお、やったじゃん。じゃ
あ……」

電話が切れた。僕は耳に痛い機械音をぼんやりと聞いていた。一回、二回、三
回…………………。一定のテンポでそれはずっと鳴り響く。
恋の終わりを告げる音。僕は静かに涙を流した。

風が吹いて、満開の桜を散らしていく。前髪をやわらかに流していく。
春の温かさを持った優しい風なのに、そんなもので散ってしまう桜が悲しかっ
た。
あたりはいつの間にかほんのりと暗くなっていて、遠くの山際に、赤い夕焼け
が広がっていた。
オレンジ色の光と、電信柱の黒い影が、涙で滲んでゆらゆら揺れた。
桜の花びらが舞って、キラキラと銀色に輝いた。
全部全部何もかもぼやけて見えて、ぐちゃぐちゃに混ざって見えて、綺麗で綺
麗で、気が遠くなりそうだった。

けれども、いくら終わりを告げられたって、そんなに簡単に消えてしまわない
のが恋心なわけで。

「昨日までは、いつだって泣き声だったくせに……」

彼が振り向いてくれないと、好きだと言えないと、震える声で相談してきたく
せに。
このまま失恋しちゃって、僕のことを好きになってくれればいいのにと、思っ
ていたのに。
彼のことなんて何も知らないんだ。ただ、遠く離れてしまった彼女の瞳が忘れ
られなくて、毎日この場所で電話を待っていた。声が聞きたかった、そばに居
たかった。ときたま悪戯っぽく笑う君の声に、僕は蝶々になってしまいそうな
くらい、ふわふわと舞上がった。

日が沈んでゆく。空は紫色に変わっていた。わずかに残る赤と相まって、あや
しい色合いだ。優しい風も、冷たい夜の風へと変化していく。ざわりざわりと
真っ黒な木々が揺れる。

「今からでも壊せないか……?」

僕じゃない誰かと笑い合っているだなんて、耐えられない。

胃の中がシンと冷えていくのを感じる。

僕はずっと聞いてきたんだ。
君がうまくいかない恋を嘆き、ぽつりぽつりと語った恐ろしい言葉たちを。
彼にまとわりつく女への罵倒、すさまじい嫉妬の言葉。

これは僕の武器じゃないか。そうだ、この言葉たちを、「彼」のまえでぶちま
けてしまえば良い! さすがにこんな言葉を聞かされれば、幻滅して、彼女の
ことを嫌いになるに違いない。そうだ……そうだ……。

そうだ……

僕はゆっくりと歩き出した。
どんな足取りだったろうか。気がつけば家のベッドだった。

布団にもぐりこんで、小さくなる。
心臓の拍動が、手の先まで伝わってくる。
寝付けないまま夜が明けた。

白んでゆく東の空を見て、僕は家を出た。

電車を乗り継ぎ、知らない町を、知らない学校へと歩いた。
門の前で、じっと彼女と、「彼」の登場を待っていた……。


仲良さげに肩をならべて歩く二人。
すぐに彼女だとわかった。あの時のままの瞳だった。
僕の体は凍りついたように動かなかった。
彼女は、彼の方ばかりを見て、僕には気付かなかった。
見たこともないような幸せな顔と、甘い囁き声。
大好きな人だけに使う、とっときの声。

僕は逃げるようにその場を去った。

だって、あんな声、聞いたことなかった。
「大好き」と囁く君の声が、僕の中にこだまする。

声をかけることすらできなかったんだもの。
あの顔をみたら、悪口なんて頭からすっぽり消えてしまったんだもの。

鼻の奥がツンとして、のどが痛くって、涙を必死でこらえて、僕は電車を乗り
継いだ。

「行きはあんなに遠く感じたのに」
あっという間に僕の町についた。

僕は振り返らずに改札を出た。
前も見ないでぼんやりと歩いていた。


突然、トランペットの音があたりに響いた。
駅前でブラスバンドが演奏をしている。……いや、ブラスバンドでは、ない
か? たくさんの人々が集まっていて、肝心の演奏陣が見えない。

『こーいはー きのーよりーもー うつくーしーいゆーぐれー……』

澄んだ男性の声が響き渡る。

恋は昨日よりも美しい夕暮れ……恋は届かない悲しきテレパシー……

こらえていた涙が、溢れ出てしまった。
声をあげて泣き出したいところを、手で口を覆うことで防いだ。

伸びやかな声が、染みていく。
目を閉じて聴き入った。
胸が熱くなった。

曲が終わって、目を開けた。
太陽が目に眩しかった。

僕はそのまま、いつもの場所へと向かった。


「何も言えなかった」
情けないなあ。
けれどもよく考えてみれば、僕はそんな彼女の最悪な言葉たちを聞いてても、
それでも彼女が好きだったのだ。そんなにも彼女が好きだったのだ。

何もかも含めて僕は君を好きだった。
武器なんかじゃなかった。

好きだった。

そう思うと、なぜだか心が透きとおっていくような気もちになった。
流れる雲をただただ眺めていると、高ぶっていた心臓も、やがていつもどおり
に戻っていた。

優しい風が前髪を流していく。くすぐったくて、ちょっとだけ笑った。

この僕の暗い汚い気持ちは、きっとこの雲のように、風がどこかへ運んで行っ
てくれる。

大好きだったあのキラキラした思いだけが、僕の中に残る。きっと。

どれだけの時間が経ったのか、あたりはまた、オレンジ色に染まっていた。

朱く暮れた空の色が、僕を包みこんで、優しい色へと染めた。

僕は大きく深呼吸をして、家路についた。



<完結>

あんみつ 著 クウィンズ