◆タイピング文
・縄文時代の人々にとっては、植物採取が食料獲得の中で大きな比重を占めていたが、旧石器時代の人々にとってはどちらかというと狩猟が主体であった。
・旧石器時代は、狩猟の道具として黒曜石からできた石器を使用していた。ただ単に黒曜石を打ち砕いて作られたことから打製石器と呼ばれています。時代が進み石を磨き切れ味抜群に仕上げる磨製石器を使うようになった時代を新石器時代と呼んでいます。
・日本の縄文時代は、新石器時代にほぼ該当するため、磨製石器が使われるようになりました。縄文時代の狩猟生活は、槍に加えて弓矢や落とし穴なども使われるようになりました。
・旧石器時代から縄文時代になり変わったことは、土器の出現、竪穴式住居の普及、貝塚の形成などがあげられる。また、このころから定住生活という文化が生まれたと言われている。
・縄文時代の特徴として土偶の存在があります。ほとんどの場合女性をイメージして作った抽象的なデザインの彫像で、主に東日本で出土しています。当時の信仰文化を示していると考えられますが、具体的な用途についてはよく解っていません。
・縄文時代は、動物に加えて植物も積極的に食べるようになり、貯蔵や料理に便利な土器が作られるようになりました。土器とは、粘土をこねて形を整えて焼き上げたものです。粘土の形を整えるとき、粘土の楓ハを縄でゴシゴシ削るので、焼きあがったら縄の模様がつきました。
・縄文時代の人が、貝を中心に色々なものを捨てたゴミ捨て場と言われているのが貝塚です。当時の生活を知る貴重な遺跡です。日本で本格的に貝塚発掘をしたのは、明治時代初期に、アメリカの動物学者モースにより発掘された東京都にある大森貝塚です。
・縄文時代から弥生時代になると、稲作が始まりました。道具も石器の他に鉄器も使われるようになり、武器として青銅器が使われるようになった。
・弥生時代になると稲作が盛んになり、その収穫した稲の貯蔵や稲作に使う道具を保管する場所として建設されたのが、高床式倉庫です。
・弥生時代となると、日本各地にクニとよばれる政治的な集団が形成されていき争いがおきるようになります。さらに、石や金属で出来た武器を製造し軍事力を強化していきました。
・弥生時代にクニ同士の争いが盛んになり、そのクニ同士が連合国家を作り、邪馬台国が誕生します。その邪馬台国のトップが卑弥呼です。この頃の様子は、中国の歴史書である魏志倭人伝に紹介されています。
・卑弥呼は、魏につかいを送り魏の皇帝である名帝によって、魏に従う倭国の王という意味で、親魏倭王に任命された。そのしるしに金印が与えられたが、いまのところその金印は発掘されていない。
・たくさん残っている貝塚の中で、もっとも有名なのが東京都の大森貝塚です。これは日本で最初に発掘調査が行われた貝塚です。この調査をしたのは、アメリカ人のモースという人でした。
・縄文時代では、釣針をつくって魚を採っていたといわれています。釣針は、動物の骨や角をけずってつくられました。このような道具を骨角器といいます。
・魔よけや豊作を祈る為に、土偶という土でできた人形がつくられました。
・弥生時代に入って、縄文時代にはないと考えられる貧富の差と身分の差が発生しました。稲作は共同での作業が基本で、その作業を指図するリーダーが当然必要になってきます。このリーダーが、どんどん力をつけていったと言われています。
・佐賀県の吉野ヶ里遺跡は、弥生時代前期から後期にかけての大集落跡で、環濠がめぐらされた環濠集落です。
・静岡県の登呂遺跡は、弥生時代後期の集落あとで、同じ時期の全国の水田あとと比べ、かけはなれて広い水田あとが発見されました。
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