◆タイピング文
・794年に桓武天皇が平安京に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を平安時代と呼ぶ。
・784年に桓武天皇が奈良の平城京から京都の長岡京へ都を移した。また、794年に今度は都を平安京に移した。
・桓武天皇は、奈良から京都に都を移し、律令政治を建て直そうとした。
・平安時代に遣唐使が廃止され、日本独特の文化がつくられ、貴族たちの間では国風文化が栄えた。
・最澄は、比叡山に延暦寺を建て、天台宗を広めた。空海は、高野山に金剛峯寺を建て、真言宗を広めた。
・東北地方を中心に住み、律令による朝廷の支配に強く抵抗した人々を蝦夷と呼ばれていた。朝廷は、蝦夷の激しい抵抗に対し、坂上田村麻呂を征夷大将軍として任じ平定した。
・天皇が幼少、病弱などのときに天皇にかわって政治を行う役職を摂政という。平安時代、藤原氏が代々摂政や関白となって政治の実権をにぎる摂関政治を行っていた。
・藤原道長の子である藤原頼通は、11世紀前半に摂関政治の全盛期を築いた。頼通が建てた平等院鳳凰堂は、現代に残るその栄華の象徴となっている。
・藤原氏は天皇が幼いときは摂政、成長すると関白について政治の実権をにぎった。これを摂関政治という。
・律令のもとで、国ごとに置かれた地方官を国司と呼んでいた。それぞれの国で、国司が税の徴収などを行った。平安時代の中ごろから地方の政治はほとんど国司にまかされ、地方の政治が乱れる原因となった。
・平安時代に、各地に広まった有力な貴族や寺院の私有地を荘園といい、税金を納めない権利や国司の使者を入らせない権利をもっていた。
・荘園にかかる税を納めない権利と、国司が荘園に立ち入ることをこばむ権利を、不輸不入の権という。
・宋は唐の後に中国を統一した王朝で、平清盛が貿易をさかんにしたことで知られる。
・9世紀ごろに唐の勢力がおとろえたため、菅原道真の進言により、894年遣唐使を停止した。
・寝殿造は、平安時代の貴族の屋敷に取り入れられた様式で、寝殿を中心にして左右対称に置かれた建物と、美しい自然を取り入れた庭園に特徴をもつ。
・古今和歌集は、醍醐天皇の命令で紀貫之らが編集した。
・紫式部は、長編小説源氏物語の作者で、一条天皇のきさき彰子に仕えながら書きすすめたと言われている。
・清少納言は、当時の宮廷の有様を生き生きと描いた随筆「枕草子」の作者で、一条天皇の后定子に仕えていた。
・10世紀ごろ、関東では平将門が武士を率いて反乱をおこし、瀬戸内海では藤原純友が反乱をおこした。
・院政とは、天皇が位をゆずったあとも政治の実権をにぎったことで、1086年白河上皇が行ったのが最初。このあと鳥羽・後白河と3代つづいた。
・1156年、天皇と上皇の対立に、藤原氏一族の争いが結びついておきた、院政の実権をめぐる争い保元の乱という。
・平治の乱は、平清盛と源義朝が対立し1159年におこった乱。平清盛が勝利し政権をにぎるきっかけとなった。
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