スピッツの曲にまつわるオリジナル小説

魚 (作者:あつこ)

魚 【7】

そのうち朝になって僕らは別れを告げる
「今日何時に行くの?」と弱々しい声で問う彼女に僕は胸がいっぱいになる
「11時に、チェックアウト済ませてバスに乗る…七海。」
「え?」と涙を目にいっぱいためて、堪えているような彼女を見るのは辛かった
本当のことならずっとこの町にいたい 君の傍にいたい。
君と一緒に魚になって、この海をずっと泳げたらどんなにいいことだろう。七海。

「…また、会う?」僕がそう聞くと七海はううん、と首を横に振る
「お別れじゃないから、ずっと一緒でしょ?大丈夫。私は大丈夫。」
日差しがどんどんやわらかく、夏めいて来て朝が僕らを包んだ
さまようようにして僕らの影を攫う
声がふるえる 

本当はお別れなんて寂しい。当分会えなくなるのでしょ?

そうだね、でも。

声だけじゃない。肩が僅かに震えているのが見えた
抱きしめることしか今の僕には出来ないのが悔しい
戻りたくない ずっと傍に居たい。戻らなければならない。
でも。

「この海は、ずっとここにあるから。砂も、星もずっとここに、私も居るから」
「うん」
「だから。」
「うん、」
「絶対に迎えに来て」
「分かった」
しんしんと七海の言葉が降り注いで来て、ろくな返事が出来ない

リズムは変わることは無い
海も、呼吸も、瞬きも、星も砂も七海も。
僕と同じリズムで揺れていて、いつまでもこれだけは確かで、変わることなんて無くって。
きっとこれからもこのリズムで動いていく
それと同時に僕らが出会う前からもずっとこのリズムで動いていたんだろうね

「こういうのって運命の出会いって言うの?」
七海の言葉を真似して僕は聞いてみた
七海はクスクスと小さく笑った
「分からない、けれど運命なんて。でも、信じたいなあ。」

波のリズムが僕らを寄せた
呼吸とか潮風とか、揺れる髪とか胸元のリボンとか唇とか
引き寄せ合うようにして僕らは出会った

「チェックアウト、あるんでしょ。もう行きなよ。」突然七海が言った
「でも、まだ時間。」と時計を見たら7時をまわろうとしていた
確かに行かなければいけない、でも行きたくない、行けない。
「良いから、行って。私は、大丈夫だから。」
ゆっくりと視線を彼女はあげて僕をキッと強い瞳で見つめた
「行って。」そう言葉が再び繰り返されると僕は何も言えずに彼女をもう一度だけ見つめて後ろを向いた
「それじゃあ」と言うと悲しそうに彼女は笑って手を小さく横で振った 何も言わなかった

振り返らずに僕は、泊まっている民宿へ走った
振り返ったらいけない気がした 
心の中でゆっくりとさようならを唱えた

あつこ 著