スピッツの曲にまつわるオリジナル小説

魚 (作者:あつこ)

魚 【9】

民宿に着いて、僕は仲間たちと朝飯を食べた
先輩はからかうようにして「最近夜、どこに行ってるんだよ、女のとこか?」なんて言って否定出来ない情けない自分は逃げるようにして笑って。
街へ帰る準備をした
歯ブラシ、着替え、タオル、携帯電話、水着、財布、思い出の一つのようでそうには見えなくって。
旅行鞄に一つずつ押し込んで、チェックアウトをする


僕らが泊まった民宿は海からわりと近い、陽のあたる風通しの良いところで海を見渡すことが出来た
バス停までの夏の日差しが降り注ぐ坂道を喋りながら笑いながら降りていく
肩にかけた荷物が何か叫んでいるようだった


バス停は海の目の前にある
バス停に着いたころにはもう、砂浜には人がたくさん居た
もう夏が終わるというのにここはまだ、暑くていつまでも夏だ
この海は永遠と繋がっていて、いつまでもここにあって、七海を縛り続けている

砂浜の人ごみの中から彼女を探した
薄手のワンピースをいつもサラリと着て、下には水着を着ている彼女。
同じような格好をした女はたくさん居るし、なんせ人が多い
七海を最後に見ないままここを去るのか、と思った
見なかったからと言って僕の気持ちが変わるわけでは無い

「先輩、次のバス来るまであと何分っすか?」
「あと10分ってとこだろ、何か忘れ物でもしたのか?」
「いや、違うけれど…」

忘れ物、という響きが妙に重く圧し掛かってきて、苦しくなった
あと10分、どうかお願いだから最後に一目だけでも。声だけでも良いから。


そう思ったら、バス停の遠く。コンクリートで舗装された熱をもったこの道の先に影が、愛しい蜃気楼のようなものが見えた
目を疑って、もう一度よく見た。間違いじゃない、気のせいじゃない。
荷物を放り投げて、走った

あつこ 著