スピッツの曲にまつわるオリジナル小説

忘れられた歌姫と王子になれない青年(8823) (作者:カメ子)

忘れられた歌姫と王子になれない青年(8823)【3】

次の日、教えてもらった彼女の自室へ仕事が終わった夜に行くと、少しだ
けいつもと違う雰囲気だった。普段よりも、なんというかお洒落に。ドレス
と言うにはそこまで社交会用ではないが、普段、着ているような動き易い軽
めの服装よりは、誰かに魅せるような衣装だ。現に僕は今も言葉を失ってい
る。
「・・」
 じっとみていると、彼女はベットを指して呟いた。
「この家のベットは、すごいですよね。私、まだ慣れなくて」
「僕も戸惑いましたが、何年か言えば慣れますよ」
 彼女は着ている服装には触れずに、違う話題をふった。
「慣れるもんですか?」
「それより、そのドレスどうしたんですか?」
「こ、これは……。あの方の前で歌うときにいつも着せられて行くんです。
ただ着飾ってるだけですけど」
「そんなことないですよ。本当に、綺麗だ」
「……でも、あの方は何も見向きもして下さらないので意味が無いんです」
 一瞬だけ寂しそうに彼女が笑ったのを見て僕は毒づいた。それは、僕の言
葉では君の悲しさを取り除けないってことか。少しも嬉しがってもくれない
なんて、見向きもしないのはどっちだよ。……でも言えるはずもなく言葉を
飲み込んだ。そして、彼女はいつも通りの笑顔に戻った。

 その気持は分からなくもない。この屋敷に置いて主人は絶対だ。どんな大
変な仕事にしろ、何もやることを与えられず窓際に追いやれては、食事を貰
っていても生きた心地がしない。主人には絶対に嫌われてはならない。
 そして、彼女は今、どうにかして存在の必要性を掴もうと必死だ。自分の
存在を否定された気がしているはずだ。君の存在価値はちゃんと、ここにあ
る。少なくとも僕には。

「あの、今さらですけど聞いても良いですか・・。あなたの名前を」
 それはずっと僕も思っていたことだ。だけど敢えて言わずに居た言葉。僕
も知りたいし、ちゃんと呼びたいと思っていた。だけどきっと知ることは許
されない。
「きっと、知らないままの方がいいです。何処かでポロッと言ってしまうと
いけないので」
「……っそう、ですよね」
「名前なんて知らなくたても、今と何も変らないですよ」
「そうですね」
 2回目のその彼女の言葉は1回目と同じだったけど、明らかに意味が違っ
ていた。彼女は、元気に言った。
「じゃ、せめて他の人には言っていない呼び方で呼ばせてください。名前の
代わりに」
「それは?」
「“君”と」

「また、明日来ます。君の歌声と、笑顔を見に」
「・・良いんですか? こんな事を繰り返しても。もう止めた方が」
「大丈夫です」
 躊躇う彼女に僕は、根拠のない言葉を言う。励ましたいとか、そんなのは
ただの言い訳で僕はただ、次も会いたいと思った。でも、名前を訊かれたの
は彼女も、また会う気があるのかとか、少なくても僕に関心が有るのかとか
少しだけ勝手に考えてしまった。





 それから、何夜も続けて彼女の部屋へ出向き聴きに行った。誰にも諭され
ないようにひっそりと。毎日その時間が楽しみでならなかった。

「今日は、何かありましたか?」
 最近、彼女はよく訊いてくる。彼女が居てもいい場所は、この自室と主人
に呼ばれた場所、そして唯一許可された蔵書室のみだったから、この屋敷で
の生活は、特別楽しみもなく窮屈なのだろう。それは、僕も同じ立場だった
ら辛い。多少なりとも使用人同士で会話もするし、仕事に差し支えなければ
行動範囲は制限はされていない。それで、僕がもし何も楽しいことはありま
せんっと最初の方に返したら、彼女は不満に感じたらしく怒られたこともあ
った。それから僕はしっかりと彼女に話すために、朝起きた時から部屋に行
く1日中、話題になるものを探しながら過ごしていた。彼女が期待している
なら尚更、僕も楽しみになる。

「……今日は、そうですね。」
 考え込むふりをして、実は用意していた話を焦らすように言葉を止める。
「この窓から、真下の花壇が見えると思うのですが、まだ花は咲いてません
ね?下に降りてみると葉と同じ緑色ですが、注意深く観察していたらツボミ
の本当に小さいものがありました。あとどのくらいで咲くんでしょうね」
「そうなんですか! 楽しみです。季節的に咲く頃だと思っていたんです
よ。そっか、もうすぐそこまで来てるんですね。」
 蔵書室で植物の本を探していたのを思い出して、その話題を出してみたが
思ったとおり喜んでもらえたようで安心した。
「もっと知りたければ庭師を呼びますが……。すみません、僕にはそんな力
が無いようです。」
「・・いえ。そんな勝手なことはできません。それに、私は貴方の目線から
植物の話が聞きたいです」
「僕は、知識と・・感性も疎いですよ?」
「それでも、こうしてツボミに気づいているじゃないですか。咲く前に目を
向けてもらえたのだからあの植物たちもきっと喜んでます」
「・・・それは、君の代わりに成長を1つ1つ見ようと思ったからです。君
が見ることができないから……」

 途切れた声に部屋が静かになると、微かにコツンコツンと音がした。た
だ、怖いのはごくたまにドアの反対側から聞こえてくる誰かが歩く足音。会
話を中断して声を潜める。今だってそうだ。少し、良い雰囲気だったのに空
気は一瞬にして変わった。血が冷たいものに温度が下がり体をめぐる。い
や、血の気が引いたというべきか。もし、気づかれて誰かが入って来れば見
つかる。
「大丈夫ですよ」
 と小声で言ったが自分でも根拠はない。でも彼女は“はい”と笑った。
「……行ったみたいですね。ああ、良かった」
「まだ、心臓がドキドキいってます。慣れないものですね」
「慣れて警戒心が無くなるのも良くないから……」

「じゃぁ、そろそろ僕は戻りますね。長居するのも危険ですので」
「……あの、明日も」
「え・・はい。明日も必ず来ます。待っててくれますか」





 庭先の植物の話をすると決まって彼女は笑うから、あれから植物の生育具
合を話した。まだツボミのまま。咲くまであとどのくらいだろうか。僕も楽
しみになっていた。でも、それは前より植物に興味が湧いたのもあるけどま
だ、僕は花が咲くよりも彼女がそれを見て笑うほうが楽しみだ。

「花壇の話も楽しいですけど、あなたは最近どうなんですか?何か楽しかっ
たこととか」
「この屋敷は知っての通り相変わらずです。とは言っても他の家ではどうか
知りませんけど。」
「本当に無いんですか。残念」
「だから、1日の中で楽しいと思える時間は、今こうして君の歌声を聴いて
る時や話している、この瞬間ですよ」
 さらりと、つい本音を隠すこと無く言うと彼女は恥ずかしそうに顔を赤ら
めた。それを見て火照りが僕にも移る。恥ずかしげもなくよく言えたな、こ
んな台詞。“私も!”という返事を期待しつつ彼女は何も言わないまま顔を
伏せていた。
「そんなこと・・」
 彼女は否定するように小さく呟く。嘘だったら、リスクを背負って何度も
こんな場所にのこのこ来ませんよ。名前を知らない。他のこともまだまだこ
れぽっちも知らないからこそ、もっと知りた良くなるのは当然。それはただ
の好近親? いやまさか、それだけでこんな危ない事をし続けるワケが無
い。だとするとやっぱり僕は・・・。 手を伸ばせば届く距離だけど今だに
指一本彼女にはまだ触れられない。

「それから、8日ほど忙しくて来れないのですが、週明けにまた来ますか
ら」
 そう・・。少しだけ間が空くのが気がかりだけど。ていうか、会いたくて
貯まらないが・・。知らない間に、彼女も僕を楽しみにしてくれているか
ら。
「必ず、来ます」

 8日などあっという間だから、待っていてください。ここしばらく主人に
呼ばれること無く部屋から彼女は出なかった。少しずつ落ち込んでいるのを
目の辺りにして、励まし方なんて知らないけどただ、彼女のことが気になっ
て、側に居たいとそれだけを考える。具体的にはまだどうしたらいいかなん
て分からない、自分の力などたかが知れている。だけど何とかしたい。

「はい。私は大丈夫ですよ」
 ニッコリと彼女は笑顔を作った。そう強がるけど、僕はそれでも少し心配
なんです。
「気分転換に、蔵書室に行かれてはどうですか?最近、行かれてませんよ
ね」
「……実は、蔵書室にも行ってはいけないことになったんです」
「っな、なんでまた」
「あ、でも本当にそんなの気にしてませんよ、私は!」
「……じゃ、読みたい本が有ったら言って下さい。代わりにお持ちします
よ」
「でも・・」
「そのくらい、させて下さい」
 本当は外に出れればいいが、僕は気休めにもならないことしかできないけ
ど。
「じゃ、楽しみにしてますね」
 今度は作った顔では無く顔を緩めて、少しだけ泣きそうな顔で彼女は笑っ
た。それを見て、少しだけ僕は安心した。そうやって、無理をしないでくれ
たほうが有難いから。
 だけど、少しだけ刺が刺さったような気がした。





「昨日も見ましたよ、これで2度目ですね。貴方があの娘に会いに行くのを
目撃したのは」
「あぁ」
 そんなこと。
「あせらないんですか? 言いましたよね? 黙っているは1度だけ。2度
目は報告するって。知らないふりも罪だって」
「貴女は歩いているところを見ただけ。1度、蔵書室に行って会っているの
を見たから、今回も会ったんだと早合点してるみたいだけど、実際は目的の
場所が何処か僕以外知らないと思いますけど」
「あの先は、あの娘の部屋しかありません。私の勝手な思い込みじゃないは
ずです。何処を歩いていたかを他の人に言っても、みんなそう思いますよ」
「そうかな・・」
「……何で、冷静なんです?まさか、私が2度見た以外にも会ってるんです
か?」
「それは、貴女は知らないままがいいんじゃないですか?知ってしまったら
共犯になる」
「っ! え、本当に? ……信じられません、貴方の行動」

「馬鹿じゃないんですかっ! 貴方は!」
「自分が馬鹿だって事くらい良く分かってます」
「……そうやって笑わって認めないで下さい」
 ディザの言った語尾が消えかける。本当に、自分でも可笑しいくらい、落
ち着いている。

「貴女が欲しい物はなんですか。または守りたいものは」
「はい?」
「僕たちには、地位だ名誉。金も無縁だ。それに、こんな大したことない日
常すら変化して壊れて欲しく無いとすがるのも馬鹿らしい」
「でも、私には貴方だって結局は、その娘の存在にすがってるようにしか見
えませんからね」
「だから、馬鹿らしいんだ。でも、もうどうしようもない」


「それから、分かってますよね? 今日から来客が2日後に続けて来るので
応接間のセッティングをするんです。心を入れ替えてくださいよ?」
「僕は、仕事に差し支えたことはない」
「十分貴方は、心ここにあらずです。私は、心配してるんですよ」
「まるで貴女の方が年が上のような言い方だな」
 何年か前にお互いだけで使っていた、口の聞き方を知らない子供のような
生意気な口調で言うと、合わせるように返した。ここに来てどのくらい大人
に言葉を直されただろうか。
「貴方が3歳上なんて、正直、疑いたくなる」
「でも、ディザより仕事はできるよな?」
「……だから、悔しいんです。助けても貰ってるんでこっちは弱みを握られ
てるから、貴方の事、上に言うに言えないから貴方を止める方法が、私には
分かりません……」

「まだ続ける気ですね。……彼女は貴方の事をどう思ってるんですか? 求
めてるのは貴方だけってことは無いんですか。今は、唯一話せる人が貴方だ
から目がいってるだけで」
「でしょうね。僕の一方的ですよ」
「なら尚更、貴方のその行動で自分が痛い目みるのは構いませんが、貴方の
せいであの娘が大変な目に遭ったらどうするつもりですか」
「・・・っ」
 ただ気がかりなのは彼女へのお叱りだった。少なからず何か罰を受けざる
を負えないだろう。それを分かっていながら僕はただ、とりとめもない話を
しに部屋に何度も足を向けていた。そんなのは、薄々分かっていた。それで
も僕は彼女の自室に行くことを止めなかった。責任のとり方も分からないの
に、本当にこのままどうするつもりなんだ、自分は。だけど、彼女を見てい
るとほっとけなかった。……これもただの言い分けでしか無いのは分かって
る。会いたいのは僕の方だ。

「責任は取るつもりです」
「そんな簡単に言って!! 私達にはそんな力などありません。知っている
でしょう?」

「責任さえ、取らしてもらえませんよ」 
 ディザはそう言って唇を噛んだ。

カメ子 著 Plant