スピッツの曲にまつわるオリジナル小説

魚 (作者:あつこ)

魚 【4】

「ほら、この手見て。これが証拠。」彼女がすぅっと手を出す
「証拠って、なんの?」問い返す、いきなり手じゃ、分からない。
「ほら、ここ。水かきあるじゃない。私は魚なの。」

爪の短い彼女の手の指と指の間には、薄く水かきがついていた
人は昔。魚で、海から陸にあがってきた、という話を思い出した。

「本当だ、俺と全然違う」
自分の手を見たら、なかなか人間の手をしていて、ゴツゴツと骨っぽかった
「だから、私は魚なの。」いくら夏と言っても、夜の海の風は冷たい
そんな風を頬に受けながら彼女は真っ直ぐに海を見て言った
「どうやって、陸に来たの?」
「まず、陸まで泳ぐのよ。したらいつの間にか、人の形をしているの。」
「じゃあ、海に戻るのはどうやるの?」
「まず海へ行って泳ぐの。したらこれも、いつの間にか戻ってるの。そーいうもん。」
「不思議だね」
「そうね、でも案外いろいろこんなものよ。世界って。」
悟ったように言う彼女は本当に魚なのかどうか、分からないけれど僕は彼女の飾り気も化粧気の無い横顔に見入った

「海、ちょっと入ろうよ」提案して僕の意見を聞く前に立ち上がり、歩き始める
追いかけるようにして砂浜を歩く もう真っ暗で、彼女の細やかな表情も影もほとんど見えないけれど歩く


波の音がぱちゃぱちゃと夜の人気の無い海に響いて さざなみが彼女を揺らす
そんな彼女を僕は砂浜に立ち、見る
「海、入らないの?それとそんな靴じゃぁ砂が入って変になるよ?」
そう言われてハッと気づいて裸足になる 砂が靴からサラサラと出る
これは、この砂は君との時間。
こうやっていとも簡単に滑り落ちていく 地面にたたきつけられて、無くなってしまう。
せめて、この砂だけはこのままずっとこの海に居て。たとえ、僕らが離れ離れになってお互いを忘れても。
砂だけは僕たちのこの恋を覚えておいて。

「水がすごい冷たい、気持ちいいね」僕のこんな気持ちに気づこうともせずに七海は笑って言う
それで良い。気づかないでほしい。こんな悲しくって寂しい気持ち、七海は知らないで居て
二人の未来を七海だけは信じていて

「恋人」と呼べるタイムリミットは刻、一刻とせまる
僕は靴を脱ぎ捨て、海に足を浸す
砂は、波に攫われて流れていく
このまま、時を止めて。
砂を、月を、海を、君を、僕をこの場所に留めて。

その夜はこれで終わった
時間は僕たちを裏切る あんなに祈っても叶えてくれないのなら僕は神様なんて信じない。
「また明日の夜、ここで待ってる。」と言い次の夜を、最後の夜を待った

あつこ 著